カメラマン
前回yuheiがカメラマンになったということを書いていましたが、私もカメラマンとなった日がありました。
先週の木曜日、prize giving ceremony という行事がありました。
3学期末のこの時期に、年間を通して進級科目の成績が優秀な子どもたちが表彰され、鉛筆や定規などの文房具が与えられます。また各学級の成績と生活態度が良い子ども1人が選ばれます。その子に対しては、新品のバックやメダルが与えられます。
成績が良い子をみんなの前で発表し、表彰することは、日本の小学校では見かけない行事ですが、ナミビアではおそらくどこの小学校でもやってると思います。
保護者も参加する大イベントで、子どもたちの勉強に対するモチベーションも上がる行事です。
成績が良くない子らはこの行事自体に参加しません。事前に先生から呼び出された子だけが参加します。
思い出にとカメラを持って行ったら、先生に「写真ブースを作ったから、個別で子どもと保護者の写真を取って」と言われ、カメラマンになるはめに。。
まあ、悪いことではないので、写真を撮っていたら、先生が、写真を撮った保護者からお金を集めていました。
これはいいのか?と思いましたが、先生に聞いてみると写真を現像することは首都まで行かないとできないし、そもそも現像するのにお金がかかるから集めてると言われ、本当にそうなのかと疑っていました。
しかし、私の後ろには行列が出来ており、保護者らもお金を払うことに対しては文句も何もない様子で払っていました。
表彰をされた子どもたちと保護者の写真を約50枚取りながら、モヤモヤしていましたが、今週の月曜日にお金を管理していた先生が、実際に写真を現像して子どもたちに配っていたのを見て少し安心しました。
たしかに日本では生まれた頃から親が写真をたくさん撮り、七五三や入学式、家族旅行などの写真をアルバムで昔の写真を見ることができます。
しかし、コリハスの子どもたちは、自分が幼い頃の写真を見ることができない場合が多いです。もちろん家庭が裕福なところではカメラがあり、自分たちで写真に現像することができると思いますが。
写真をもらった子どもたちはとても喜んでおり、一日大事そうに手に持っていました。
その子の周りを写真を撮ることができなかった子や成績が良くなく、そもそもその行事に参加していない子が集まっていました。
最近では裸足で登校してくる子やボロボロの制服とバックでボールペンの中身を使って書くことなど、良い意味でも悪い意味でも貧困というものに慣れてしまいました。
しかし、子どもたちは毎日元気に学校に来ています。
貧困というものは貧しく生活が苦しいこともそうですが、大切なものが欠けていることも貧困と言うそうです。心が貧しいことが貧困と言うことも聞いたことがあります。子どもたち自身は自分が貧困であると思っていないと思います。
しかしそれでも貧困というものを改めて考えさせられました。